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ラ・ラ・ラ・メディテーション

ラ・ラ・ラ・メディテーション

熟練することから自由

 愛する和尚
 この五年間、私はずっと同じ仕事、グル-プ.ワ-クをつづけてきました。しかし今や、これは何か古くて新鮮味のないもののように感じられます。以前はそのなかに、すばらしい喜びと愛、そしていま起きているよりももっとたくさんの気配りがあったものでした。 私はこの仕事を愛しているし、つづけたい
と思っています。けれども今、このためには何か新しいものを必要としているのを感じています。これについて何か言っていただけますか?・

 これはいい感じだ。大変いい感じだ。これを否定的に取らないようにしなさい。あなたがもっと工夫に富み、革新的でなければならないということ、働きかけ、世話すること、手助けのための新しいやり方を見つけなければならないということ、自分がもっと創造的でなければならないということを、単純にこのことは教えてくれている。
 
こういったことはつねに起こる。あなたが仕事を、新しい仕事を始めるとき、あなたは非常に創造的だ。あなたは深くそれに関わっている。あなたの全存在がそのなかに在る。それは一種のハネムーンだ。エネルギーが流れ、ひとつひとつの小さなことが美しく思われる。起こることは何であれ偉大な報酬だ。人はわくわくする。
 
やがて、だんだんと、あなたはその分野を知るようになる。そうなると、工夫に富み創造的であるよりは、むしろ、あなたは繰り返しを始める。これも自然なことだ。なぜなら、いかなる仕事においても、あなたが熟練すればするほど、あなたは繰り返すようになるからだ。熟練とは繰り返しだ。だから、すべての偉大な発見は、アマチュアによるものである。けっして熟練した人びたよってではない---

なぜなら熟練した人々は、失うものがあまりにも多いからだ。もし何か新しいことが起きるならば、彼の古い技術には何が起こるだろう?彼は何年間も学んだ。そして今や彼は熟練者になった。それゆえ、熟練者はけっして何も発見しない。彼らは自分の技術の限界を超えられない。一方では、彼らはますます熟練していく。他方では、彼らはますます退屈になる。そうなると仕事は重たい荷物のように思われてくる。なぜなら、今それらにわくわくするような新しいものは何もない。彼らは起こることをすでに知っているし、彼らはやることを知っている。そのなかに何の驚きもない。だから、学びなさい。熟練していくこはいい。けれども永遠にそれに落ち着いてしまうことは良くない、ということを。

あなたのなかにものごとが新鮮でないように見える、という感覚が現れるときはいつでも、それを変えなさい。何かを工夫しなさい。新しいことをつけ加えなさい。古いものを取り去りなさい。ふたたびパターンから自由になりなさい。

これは、熟練することから自由になるこからじゆうになることを意味している。ふたたびアマチュアになりなさい。ふたたびアマチュアになるには、勇気と忍耐が必要となる。しかしそうやって生は美しくなるのだ。
 
 熟練はそれ自身のなかに何かを抱えている。それは安定だ。熟練することは何かを逃している。それは冒険だ。だから、あらゆる安定した生は冒険的でない。そして、あらゆる冒険的な生は不安定だ。
 
 もし、あなたがほんとうに生きたいならば、次のことを覚えておきなさい!生は不安定なものである、ということ、あなたが未知なるものへと動くとき、あなたがいつでも危険を冒すとき、生は存在するということを。生はギャンブルだ,そうすれば、スリルがある。何度もスリルがある。そして、一日一日が何か驚くべきものをもたらしてくれる。
 
 このようにして人は生きるべきだ--なぜなら安定とは、自分が死ぬ以前にあなたはすでに死んだ、ということを意味するからだ。

 ……だから、機械的にならないようにしなさい。……アマチュアであることの危険を冒して、仕事に新しいやり方を見つけなさい。

 ときどきあなたは失敗するかもしれない。私は、あなたが失敗しないかもしれない、とは言っていない。新しいことにはつねに危険がある。けれどもそこにはスリルがある。そして、そのスリルには危険を冒すだけの価値がある。いかなる代償を払っても、そのスリルにはそれだけの価値がある。
 
 だから、ただあなたの仕事を見つめてごらんなさい。あなたが五年の間に作った限界を、どのようにしたら超えられるかを見つけ出しなさい。
 
 成長のためのワーク、グループ・ワークには、持ち込まれるべきことは非常にたくさんある。非常にたくさんだ。可能性は無限だ。すでに使えるものは何もない。まだほんの始まりだ! 東洋は何千年もの成長のワークをつづけてきた。そして、そして非常にたくさんのものを生み出した。人はそれに終わりがないように感じている。人は発明しっづけることができる。

 だから、ちょっと見回してごらんなさい。何であれあなたがしつづけてきたことを。それは終りではない。もう一度広げてごらんなさい。もう一度旅を始めてみなさい。新しいものを取り入れてみなさい--ときどきは一風変わったものを、そしてときどきはほとんど狂ったようなものを。これらがすべて助けとなるのだ。
 ……だから、古い仕事に何か新しいものを取り入れなさい。そうすれば、古い仕事は新しく成長するようになり、機械的でなく有機的になる。

 あるいは変えてしまいなさい。
すべて変えて、新しいこと、まったく新しい何かをやり始めなさい。しかしそれは二番目の選択だ。もしあなたが自分の仕事を変容することができないなら、それをまったく変えてしまいなさい。それを落としなさい。ABCから学びなさい。そして陶工、音楽家、あるいはダンサーになりなさい…何でも。何になるべきかを言っているわけではない。何でもいい。絵描き、放浪者、乞食。何でもいい!
 
 ……ほんとうに真実の人は変化しっづける。それゆえほんとうに真実の人は、けっして首尾一貫していることができない。首尾一貫していることは、生ではなく死に属している。

 ほんとうに生きている人は、ひとつの極からもうひとつの極へと動きつづける。彼はあらゆる矛盾を含む。そして何に対しても準備ができている。彼の生の衝動が導くところなら、どこへでも出かける準備ができている。
                  和尚 For Madmam Only
         


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